はさみ一本で社会・世界を繋ぐ-①19年に亘る福祉理美容活動のきっかけ
2014年 02月 08日
突然ですが、この度、
19年の福祉理美容活動について振り返り、
ふくりびの活動が目指すものについてお伝えしたいと思い、
ブログでちょこちょこと、これまでの事を正直に、赤裸々に綴っていきます。
「はさみ一本で社会・世界を繋ぐ」
第一章
19年に亘る福祉理美容活動のきっかけ
・「ありがとう」のありがたさ
今の活動のきっかけを聞かれる時は、「15歳でNGOの研修センターで途上国から来た農業研修生の髪を切るボランティアに参加したのがきっかけ」と答えますが、そのきっかけは僕にとって30年、この仕事を続けることができた原動力でもあり、支えでもある事を最初に記しておきたい。
15歳からの修業時代を振りかえって、思いだすことは何しろ辛かったこと。
中卒の坊主頭の僕を可愛がってくれた先輩たちも沢山いたが、もともと手先が不器用で、同期のメンバーより、仕事が下手なのが悔しくて、泣きながら深夜まで、パーマを巻く練習をした。
繰り返し、繰り返し練習する、我々の仕事の基本はそこにしかない。
中学卒業後、就職先の先生(サロンオーナー)の家に下宿し、働く毎日。
月給は手取りで8万円ほど。初めて貰った給料でケーキを1ホール買って、一人で食べた。
「大人ってすごいなあ」と実感した。
実家が貧乏で、姉の高校の学費を援助するため、実家にお金を渡していたが、あまり苦ではなく、むしろ誇らしかった。
子供の頃の夢は「野球選手」小学校・中学校と野球部で毎日遅くまで練習したが、万年補欠で日の目を見ないまま、勉強のできない僕は、就職する事となる。
今思えば、両親に先見の明があったのか、「手に職をつけろ」と言われた僕は、「うどん職人」か「ヘアスタイリスト」のどちらになるのかで悩む。
そもそも、坊主頭でヘアスタイリストって、どうなの?むしろ板前だろ!と今振り返り、乗り突っ込みしてしまうが、そこは田舎の素直な15歳「栄(名古屋の繁華街)で働く」というイメージにすっかりテンションが上がり、勉強嫌いなせいもあって、進学せず就職することに意義は無かった、まあ、貧乏で高校に行かせてもらうお金がなかったことも、この時はあまり分かっていなかった。
しかし、修業中の毎日、朝の通勤電車で制服姿の同級生と一緒になるたび、
「学生って気楽でいいなあ、制服羨ましいなあ。高校で野球やりたかったなあ。」と憂う日もあり、特に、職場で嫌な事があった日は、皆と違う選択をしたことを後悔しながら、唇をかみしめ、一人寮に帰った。
仕事の覚えも悪く、職場でも専門学校でも先生や仲間に「下手くそ」とバカにされ…。
「不器用だし、この仕事向いてないのかなあ」と仕事に自信を持てずにいたある日、先輩に誘われ、特に何も考えず、言われるままに「そこ」について行った僕は、この後の人生を大きく変える出来事に出逢う事になる。
つづく…